外から招いて外に出る。「学校を社会に開いて始まる」教育改革

外から招いて外に出る。「学校を社会に開いて始まる」教育改革
リンク)より転載

**************************
■教育改革について考える

1.デジタルを基本に考える
小学校教育では、小学校より学習塾の方が進んでいる。小学校では文科省の学習指導要領に縛られており、全国の学校で同じ教育が受けられるように配慮されている。反面、公立学校間の競争はない。他校との差別化を考える必要もないし、努力しなくても学生は集まってくる。 一方の学習塾は競争が激しく、常に努力を続けている。最近は、インターネットによる遠隔授業や一人一台のタブレット配布により、効率的な学習が可能になっている。

(中略)同じクラスにいても、みんな異なるステージに挑戦している。それぞれの学生は能力も異なるし、勉強の内容も異なる。その多様性を認めることが、いじめをなくすことにもつながるだろう。 職業教育についても、デジタルな学習基盤が整備されれば、様々な職業の人のインタビューや職業紹介をすることが可能になる。

2.開かれた学校にする
次に考えるべきは、開かれた学校にすること。先生と児童だけを社会から隔離された環境に閉じ込めるから、ストレスも溜まるし、いじめなどの問題も起きやすい。 毎日のように外部講師が学校に来れば、教師や学生の社会性を高めることにもつながる。また、スポーツ系、芸術の授業は、専門の講師が教えることが望ましい。そして、子供の才能を見抜き、可能性が広げてあげることが重要だ。

(中略)
常に外部の人が見ていてくれる環境にすることが重要なのだ。

3.校外授業の充実
タブレットを教材の軸にすることにより、校外学習も容易になるだろう。レポートは時間内にタフレットにまとめて通信する。そして、クラス全員のレポートを共有することにより、コミュニケーションも深まるし、チームワークも可能になる。 地場産業や地域企業の見学や地域内の様々な人々への取材などを授業に取り入れることにより、職業教育にもつながる。(中略)

学習は学校の中に留まるべきではなく、むしろ校外に出ることにより、地域が子供を育てるという考え方が定着していく。校外に出ることもいじめ防止にもつながるはずである。校内にいると逃げ場がないが、環境を変えることにより、開放感を感じるはずである。

4.宿題と校則の廃止
最近、前時代的な校則が話題になることが増えているが、私は校則は廃止しても良いと考えている。校則がなくても、社会常識や法律を学習すれば、学校内が荒れることもないだろう。 服装や髪形、化粧等を規制することは、多様性を認めないことにもなり、異なる人種、異なる宗教、異なる生活慣習を学校が受け入れられないのは、むしろ学校に問題があるのだ。

校則を作らなくても、清潔な服装を維持することが社会的な信用につながることも教えればいいし、西欧社会や日本社会における服装のタプーなども、その歴史等を教養として授業で教えるべきだと思う。 事実、校則で抑圧することが却って服装の乱れを生み出す場合がある。社会人になり、自由になると、逆に好感がもたれるファッション等を意識するようになるのだ。つまり、学校を孤立した空間にするのではなく、あくまでも社会の中の一部であり、社会と同じ規範や常識が適用されるという環境を作ることが必要である。

同様に、宿題も廃止するべきだと思う。(中略) また、学校だけで教育が完結する時代は終わっている。塾に通ったり、スポーツや芸術等の習い事をする学生も少なくない。それなのに、宿題を出すことは、学校意外の教育を妨害しているとしか思えない。 (中略)
強制的な宿題を廃止し、自由な学習の目標を提示することが必要である。

■編集後記「締めの都々逸」

「社会に開かれ自由に学び個々の能力高めたい」
密室って良くないと思います。学校は先生といじめっこの帝国です。職員室も居心地の悪い変な空間ですね。先生が一人になれないのも良くないと思います。大学の研究室みたいなものが必要でしょう。 日本の先生の業務時間は世界でも相当長いようです。しかし、授業時間は短い。つまり、間接的な業務が多い。これは改革できるはずです。クラブ活動も地域主体に変えてもいいかもしれません。但し、コーチは資格制度を整備して、報酬を支払うべきです。一つ一つの業務があまりにも前時代的であり、世の中の進化に追いついていません。このままだと塾に運営を任せた方が良いかもしれません。

いじめだって、本気でなくそうと思えばなくせます。しかし、自分たちの組織や手法を変えたくない。既得権を守りたいので、改革ができない。学校を社会に開きましょう。外部の人材を受け入れましょう。そして、問題を解決しましょう。

 

 

 

紀伊谷高那