現代教育の弊害②

 試験の成績と偏差値だけで、評価される隔離された世界に閉じこめられ、子供達は、逃げ場を失っていく。当然そのはけ口は、仲間や弱者に向かっていく。しかも、その閉ざされた逃げ場のない社会、隔離された社会において、その社会にしか通用しない掟が、生じるのは、自然な成り行きである。非公式に生じた不文律、掟は、それなりに、権力装置を生み出す。イジメ、それも、表へ出ない、目立たないところでの、イジメが、蔓延するのは、当然の帰結である。

 子供達は、救いを求めている。子供達の一部は、家の閉じこもり、ただ、ひたすら救いを求める。しかし、救いはどこからも訪れない。なぜなら、救いは、その人内部、その人自身でしかないからである。しかも、外部との接触を拒みながら、誰かが助けにきてくれることを望んでいる。矛盾している。これでは、救いようがない。この様な救いようのない状況を、現行の教育は、生みだしているのだ。

 現実の経済の中から問題を見つけだし、自分たちが望む結果が出るように政策を打ち出す。その答えは、結果が出す。その答えを現実が、検証する。そして、またそれによって、問題化される。極端な話、答えは、結果が出すから、自分たちで出す必要がないというより、出せない場合すらある。答えは、あらかじめ用意されているわけではない。それが現実である。どこかの大学教授のように、自分の出した答えと結果が違ったから、結果が間違っているというのは、神をも恐れぬ所行である。学校教育にどっぷりと浸かった優等生が言いそうなことである。

 受験勉強期間というのは、人間の成長にとって大切な年代である。その大切な時間を無意味な勉強によって浪費される。それは、子供達には、耐えられない苦痛である。彼らは、耐えられない苦痛から回避するために、現実から逃避していく。そのとき、人格の崩壊は起こる。典型的なのは、人格の分裂や自己の喪失、逃避である。

 日本人の中に、国語辞典を、一冊、丸暗記している人間がどれほどいるだろうか。ところが、受験戦争の中では、英語が話せないのに、英語辞典をまるまる暗記している人間が何人もいるのだ。これは、狂気である。しかし、試験制度の中では、その異常さに疑念を持つことすら許されない。

  つまり、それを強要する側も、受け入れる側も、それを容認する側も全てが狂っているのである。冷静に考えれば、普通ではない。変態的な性が世の中に蔓延するのもわかる気がする。全てが異常なのだ。

 その証拠に、一般社会において、こんな事を強要したら、立派な犯罪である。また、それに耐えられる人間がいたら、その人自体、異常だしと思われる。お前は、変態か。しかし、それがまかり通る、それが、受験戦争である。

 戦争は、確かに異常だ。しかし、受験戦争は、その目的が、判然としない分、さらに異常である。

 現在教育のもう一つの弊害は、愛国心に対する教育がなされていない事によって日本人としての誇り、自尊心が育たない事である。また、愛国心を正面きっていえないために、教育の目的が明らかにできない事である。それは、国家目標をも見失わせ、国家としてのアイデンティティをも失わせてしまう。国家としてのアイデンティティを失えば、統一した国家、国家の独立を保つことができなくなる。その事は、国家体制の崩壊を意味するのである。

 我が国では、かつて、それぞれの地域が独自の教育をしてきた。その根本は、郷土愛である。郷土愛が生む出した地域独特の教育システムや学校は、個性的な多くの人材を生み出し、開国後の近代日本の発展を担ってきた。郷土愛の根底には、家族愛、そして、自己愛があり、郷土愛が発展したものが、愛国心だ。しかし、愛国心は、軍国主義全体主義の中で変質し、ゆがめられた。真の愛国心は、生活の場である地域社会に根ざしながら、それを健全に発展させたものだ。本来の愛国心は、郷土愛に、そして、家族愛、自己愛に根ざしていなければならない。そして、それが民主主義的、個人主義的、愛国心なのである。

 健全な愛国心を教育の場で育てられないのは、地域社会、そして、そこに根付く伝統や文化を育めなくなる事を意味する。また、同時に、健全な民主主義の発展も期待できなくなる。それは、我が国の歴史と伝統、文化の破綻を招き、国家の統一と独立を保てなくする。それが意味することは、日本人が日本人としての誇りを失い、国家としての自決ができなくなる、すなわち、我が国が、他国の支配を許し、植民地になることを意味するのである。物理的な面ではともかく、精神的な、文化的な植民地にはすでになりかけている。

 愛国心を教育の場で育めないのは、現代教育最大の弊害である。

 

 

 

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