寺子屋の「手習い」は手本の意味内容を理解することを通して実学と修身とを習得すること。

「手習い」と言っても字を上手に書くことだけでなく、「手習い」の文字を読むこと、書かれている単語、文、文章の意味内容を理解すること、それを通して実学と修身とを習得することにもねらいがあった。手本(模範文)の手習いを重ねることで、単語、文、文章を記憶・暗誦することにもなったし、その暗誦が文章を書く時の作文の応用能力となって身についていった。つまり、寺子屋の知識習得は、書いて覚えるという教育方法であった。(江戸時代の寺子屋の暗誦教育)

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前略

現在、寺子屋で手習いをしている絵が描かれている書籍や襖絵が数々残っている。それらには、同じ部屋に男子と女子とに分かれて学習している絵、学習態度がまじめに手習いをしている一部の子、そのかたわらで落書きをしている子、おもちゃで遊んでいる子、子猫や小犬を可愛がってる子、罰を受けて正座させられている子など、実におおらかな寺子屋風景の絵が多くある。「手習い」と言っても字を上手に書くことだけでなく、「手習い」の文字を読むこと、書かれている単語、文、文章の意味内容を理解すること、それを通して実学と修身とを習得することにもねらいがあった。寺子達ははじめに「いろは」を習う。次に「数字」、次に漢字へと進む。漢字は単字から成語、熟語へと入っていき、短句、短文、文章へと進んだ。その内容は教訓、地理、歴史、手紙、産業、理数などにわたっていた。江戸時代は文書社会であったから、書簡、諸法度、御触書、御高札、五人組帳前書、種々の上申書などで使われた単語、成句、文、文章も多く含まれていた。こうして寺子達は習字を通しながら、読書や作文や地理や算術や法律や社会規範や修身などを学んでいった。手本(模範文)の手習いを重ねることで、同時にそれら単語、文、文章を記憶・暗誦することにもなったし、その暗誦が文章を書く時の作文の応用能力となって身についていった。つまり、寺子屋の知識習得は、書いて覚えるという教育方法であった。

中略

 寺子屋の「終りの会」では、今でいう「群読」の先駆的指導が行われていておもしろい。引用資料に「誦読」とあるので、声に出して、一斉に声を張り上げ、多分・節をつけて吟じて、何回も繰り返しているうちそらで言えるようになって、師匠(兄弟子)のリードが必要なくなって、やがて暗誦してしまう、という指導だったと思う。文豪・谷崎潤一郎は、自分の体験から寺子屋について次のように書いている。思い出すますのは、昔は寺子屋で漢文の読み方を教えることを、「素読を授ける」と言いました。素読とは、講義をしないでただ音読することであります。私の少年の頃にはまだ寺子屋式の塾があって、小学校へ通う傍そこへ漢文を習いに行きましたが、先生は机の上に本を開き、棒を持って文字の上を指差しながら、朗々と読んで聞かせます。生徒はそれを熱心に聴いていて、先生が一段読み終わると、今度は自分が声を張り上げて読む。満足に読めれば次へ進む。そういう風にして外史や論語を教わったのでありまして、意味の解釈は、尋ねれば答えてくれますが、普通は説明してくれません。
     
以上(リンク

 

 

 

わたっきー