もはや学校は終わっている(その4つの理由)

1.もはや「いい生活⇒いい大学」では意欲が湧かない
みんな貧しかった頃は、誰もが「いい生活」を求めて、私権(お金や地位)の獲得に向かいましたが、豊かになり物が有り余る時代になると「いい生活」はもはや目標にならなくなり、私権獲得の活力はどんどん衰弱していきました。
そうなると、私権を獲得するための地位=学歴の価値もどんどん下がってゆきます。今や学歴を採用や昇進の基準にしているのはよほど古い体質の時代遅れな企業だけで、将来性のある先進的な企業で学歴を基準にしている企業など既にありません。
学校や塾は相変わらず学歴・成績第一と脅し続けていますが、騙されてはなりません。現実を直視してください。子供に必要なのは、何があっても生き抜いていく力であり、成績ではありません。

2.学校の勉強は役に立たない
それは実社会に出て誰もが思うところですが、なぜ役に立たなくなってしまったのでしょうか?日本が豊かさを実現したのは50年前。その時同時に、豊かさの実現へと人々を導いてきた西欧観念も見捨てられ、それ以来、無思想・無気力・無関心が広がり続けて、今や日本人の活力はどん底(世界最低ランク)まで下がってしまいました。
ところが、学校は相変わらずとうに見捨てられ何の役にも立たなくなった西欧観念を教え続けています。これでは、勉強意欲がわかないのも当然です。
それに対して、遊びや仕事を通じて意欲と追求心を再生していくのが遊学舎、幼小科、探求科や仕事塾、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎:全日制の類学舎です。

2’.西欧科学と西欧思想は狂っている
しかし、西欧観念が見捨てられた真の理由は、西欧観念が孕む重大な欠陥にあります。例えば、西欧科学が後のことをまったく考えずに作るだけ作って至る所で環境を破壊することになったのは、目先の利益しか考えず、それ故に常に都合の良い(都合の悪い事象は捨象した)公式を頭の中だけで作ってきたからです。また、自由・平等・博愛も、頭の中だけの綺麗ごとです。
このように、教科書を貫く西欧科学と西欧思想は、現実から目をそらした架空観念(頭の中だけの綺麗事)に過ぎません。それは、一貫して現実を対象化してきた生物の摂理に反する狂った観念です。
新しい可能性の実現に向かうべき現代、常に架空世界に向かうその思考ベクトルは、役に立たないだけでなく、人々を思考停止状態に陥らせ、無能化させ続けています。
今、求められるのは、現実を対象化した事実の認識。それをみんなで追求するのが探求科です。

3.学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや監獄に近い
  もはや役に立たなくなった勉強に対して、子供たちの肉体的な拒絶反応が急激に上昇してきたのは当然です。しかし、もともと学校は徴兵制の一環として作られ、軍隊をモデルにしています。つまり、学校は「校則は絶対」「教師の命令は絶対」という強制圧力によって成り立っています。従って、子供たちの拒絶反応に対しても、教師たちは専ら強権を行使して宿題やテストをやらせるしかありません。こうして、学校の強制圧力と子供の拒絶反応の悪循環で、もはや学校はどうにもならなくなっています。しかも、この悪循環の中では、志のある教師から辞めてゆくので、教師の質も年々劣化しています。
それに対して、まずは意欲と追求心を喚起し、その活力と追求力をもって成績を上げてゆくのが幼小科や探求科や本科です。

4.学校は現実から隔離された閉鎖空間
赤ん坊は好奇心と追求心の塊で、みんな天才です。例えば言葉も、周りと一体化したい一心でひたすら周りの真似をして吸収していきます。
次の10才までの子供の仕事は遊びです。実は、一昔前まで、子供の遊びは、ほとんどが大人の仕事の真似ごとでした。それは哺乳類の本能だからで、例えば子犬のじゃれ合いも、狩りの予行演習になっています。つまり、遊びは仕事に直結しており、遊びを通じて仕事に必要なすべての能力が形成されてゆきます。
それに対して学校は、仕事をはじめとする現実の圧力から隔離された(生物にとって)極めて異常な空間です。これでは、仕事能力をはじめ、現実世界を生き抜いてゆくのに必要な能力が、ほとんど形成されません。
生き抜いてゆく上で本当に必要な力を形成する場が、遊学舎、幼小科、探求科や仕事塾、そして究極の形が学校に代わる新しい学び舎“全日制の類学舎”です。

 

 

 

岡田淳三郎