教育虐待をする親とその学歴。その教育、本当に子どものためですか?

教育虐待をする親とその学歴。その教育、本当に子どものためですか?
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■教育虐待の背景にある学歴主義と正解主義

「教育虐待」の定義は、一般的には「子どもの受容限度を超えて勉強をさせること」となります。近年、メディア等で教育虐待という言葉を見聞きすることも増えてきましたし、たしかに児童虐待全体の通報件数でいえばかつてとは比較にならないほど増えていますが、それをもって教育虐待が増えているとはいい切れません。

ただ、わたしの感覚としては、「裾野が広がってきている」と感じています。かつてのようなごく一部のものすごく教育熱心ないわゆる教育ママだけではなく、程度のちがいこそあっても以前より多くの親が教育虐待をしている、あるいはそれに近いことをしているのが現状ではないでしょうか。

そのことには、いまの親世代が受けてきた日本の教育の影響が大きいように思います。明治以降にはじまった日本の近代教育は、全国津々浦々どこにいても平等に教育を受けられて、努力をした人が評価され出世していくという「公平さ」に重きを置いたものです。だからこそ、テストの内容も公平でなければならない。

そして、公平なテストにするために、試験に出る内容とその答えがあらかじめ授業で与えられ、それをいかに吸収してテストで再現できるかという能力を競うようになりました。そうして、日本の教育や社会において学歴主義、そして正解主義というものが幅を利かすようになっていったのです。

そうすると、まずは学歴主義の影響として、偏差値が少しでも高い学校に子どもを行かせたいと親は思うようになる。それから、親自身も正解主義のなかで育ちましたから、子どもにどんな教育をすれば偏差値が高い学校に進学させられるのかと考え、教育に正解を求めるようになった。家庭教育にも正解主義をあてはめはじめたわけです。

ただ、「この教育が正しいんじゃないか、あれが正しいんじゃないか」と親が迷っているうちは教育虐待につながることはそうないと思います。でも、そんなふうに迷っていた親が、あるひとつの家庭教育の手法に対して「これが絶対に正しいんだ!」と思い込み、迷いなく子どもに押しつけはじめると非常に危険です。その思い込みによって子どもの顔が見えなくなり、気づいたときには子どもが壊れている……ということになりかねません。

■教育虐待をする親のなかでも厄介な「ハイブリッド」

教育虐待の広がりの背景にあるもののひとつは学歴主義ですから、教育虐待をする親とその学歴にも関連があると見ることができます。教育虐待をする親のひとつのケースは、「親が高学歴」というもの。高学歴でそのあとの人生においても勝ち組であり続けているような親は、それ以外の生き方を知りません。ですから、子どもがいい大学に入れなかったら……と考えると怖くて仕方がない。そうして教育熱が高まるというわけです。

それから、教育虐待をする親のもうひとつのケースは「親が低学歴であることにコンプレックスを持っている」というものです。そういう親は、理屈のうえでは「子どもに苦労をさせたくない」という思いを持っています。でも、自分が低学歴であるために苦労をしてきたという思いや悔しさを、過度な期待やプレッシャーというかたちで子どもにぶつけてしまっているのです。

それらとは別に、わたしが「ハイブリッド」と呼んでいるケースもあります。これがもっとも厄介。高学歴だ、低学歴だといっても、そこに明確な境界線はありません。高学歴と感じるか、低学歴と感じるかはそれぞれの主観によるからです。他人から見れば十分にいい大学を出ている人のなかにも、「自分は低学歴だ」と思っている人もいるわけです。たとえば、東大に落ちて早慶に進学したことにコンプレックスを持っているような人です。

そういう親の場合、早慶出身ですから「自分は高学歴なんだ」というプライドも持っています。子どもには「お父さんだって頑張ったんだから、お前も頑張れ!」と発破をかける。一方で東大に落ちたというコンプレックスも持っていますから、子どもがどんなに勉強を頑張っていても「まだ足りない」とダメ出しをしてしまう。それは、自分のコンプレックスを子どもに投影して、過去の自分に対してダメ出しをしているということなのです。

■親が注視すべきは子どもが目を輝かせるかどうか

では、親はいったいどういう意識で家庭教育に臨むべきなのでしょうか。わたしからお伝えしておきたいのは、「迷ってください」ということです。とはいっても、あれこれとさまざまな教育手法にやたらと手を出すべきだといいたいわけではありません。

正解主義のなかで育ってきたいまの親たちは、先に述べたように家庭教育にも正解主義をあてはめてしまいがちです。そうして、ある家庭教育の手法に対して「これが絶対に正しいんだ!」と思い込んだ瞬間、教育虐待がはじまります。でも、それぞれに個性がある子どもたちすべてにあてはまるただひとつの正解などあるはずもありません。

そうであるなら、答えを出すことなく迷い続ければいいのです。真面目で教育熱心な親なら、「ああでもない、こうでもない」とさまざまな教育手法について調べるでしょう。「どれが正解だろうか」と考えたくもなる。そのこと自体は決して悪いことではありませんし、子どもを思う気持ちは子どもにも必ず伝わります。

絶対に忘れてほしくないのは、その子どもを思う気持ちです。「子どものため」といいながら、自分の考えを押しつけてしまっていないでしょうか? 子どもの気持ちを置き去りにしてはいけません。迷いながらいろいろと家庭教育を試していくなかでも、それに対して子どもが強い興味を示して目を輝かせるのかどうか――そのことにつねに意識を向けていてほしいと思います。

 

 

 

紀伊谷高那