国やマスコミに落とし込まれる「仕事感」。人類にとっての仕事とは「追求の場」!

人類にとって「仕事」とは何かを考えるきっかけになる記事があったので投稿します。以下、週間:事実報道 2019年10月3日 弟230号から引用です。

『仕事体験がテーマパーク化 それって正しい?』

「子供達に仕事体験」とPRする体験型テーマパークが近年増えた。親からすれば「子供の可能性を広げるいい機会。連れて行こう!」となるかもしれない。でも、それはあくまでも“ごっこ”で、本当の仕事ではない(ごっこ遊びにも良い面はあるが)。それを仕事体験と称して子供に体験させるのは、時間と費用の無駄ではないか。

キッザニアを中心に、大人の仕事を体験できるような施設はいつも混雑しており、非常に人気がある。

用意された数十種類の仕事の中から自分の好きなことや興味を持った仕事を選び、数十分体験し、また次の仕事の体験へ移る。子供も楽しいだろうし、そんな子供の姿を見て親たちもカメラ片手に満足気な顔。
 中略
「ただの娯楽施設だ」と利用する側も運営する側も割り切っていれば何の問題もないのだろうが、学校という非現実の世界にいる子供たちが唯一現実課題へと向き合える貴重な時間が仕事であり、それを公然と『これが○○の仕事です』『楽しみながら社会の仕組みを学べます』などとうたってしまうのはいかがなものか。

<本当の仕事環境を>
 親に管理されていない場所で長い時間働く中で、うまくいくこともいかないことも含めて現実課題(仕事)と向き合うからこそ、原因分析力であったり、突破方針の計画、実行する力であったり、何よりも仕事は常に対象(仲間や顧客)がいるからこそ成り立つことを学ぶことができる。

そういった環境を娯楽施設ではない本当の仕事環境の中で子供たちへ提供し、子供のうちから学べる場を提供していくことが必要だ。
引用終わり

 私権時代の仕事は、いやいややらされている苦役。自分の時間をお金に交換する場とも言えた。その反面プロジェクト×等もあって仕事の醍醐味も感じられた。しかし、今の仕事は働き方改革よろしく、個人の仕事時間の短縮のみで、その中身は問われない。人生の半分以上の時間が国とマスコミから無味乾燥な扱いを受けている。

一方、個人はあらゆる対象がスマホと繋がる身近な対象に変化している。それは社会や会社ではない。全体として、国とマスコミからバラバラな個人の集合体に仕向けられている。

仕事の価値観がぼける中で子供達には数十分の遊び感覚で「仕事」を刷り込まれていく。これでは社会から追求の場がなくなってしまう。

子供達も勉強の強制圧力で生きる活力を消失している。ここから脱出するには現実を対象とした追求力を身に付けるしかなく、正にそれが「仕事」なのだ。


 改めて人類における「仕事」の意味を考えたい。木から落ちたサル=人類は武器を持たないが故に最弱者となった。その結果、生きるために仲間と休む間もなく瞬間瞬間、生きるための追求をせざるを得なかった。
その生きた証を活力源=充足源に代えて生き延びた。実は、この追求が仕事の原点だ。

なんとなく「仕事」は私権時代のにおいがするし追求から遠い感じがする。むしろ、「働く」(=傍を楽にする)等の新たな言葉をを考えながら仕事を追求して行きたい!

 

 

 

酒井俊