コロナウイルス終息後「学校に行かなくてもいい」時代が来るワケ

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◇オンライン授業への大きな反響
新型コロナウイルスの感染拡大は、明らかに人びとの行動を変えたと思います。
これほど突然に、子どもたちの学校が長期の休みに突入するというのは、これまで誰も経験したことがありませんでしたから。
多くの人が、外出もままならない期間を、子どもたちがいかに生産的に過ごせるかと考え始め、代替手段としてデジタル学習コンテンツやツールに目を向けました。
ITを使った教育「EdTech(エドテック)」に注目が集まっています。

(中略)

◇「学校の意味」とは何なのか
学校に行かなくても知識が得られるとすれば、「学校の意味」は何なのか。それが問い直されているように思います。
勉強の部分はテクノロジーで代替できても、先生や友達と集い、語り合い、一緒に遊ぶというのはオンラインではできません。
学校が提供する普遍的な価値の一つは、そこにあるのではないでしょうか。
そしてもう一つの価値は、「読み・書き・そろばん」に代表される基礎能力を習得する機会を提供することです。
国の教育は、税金を使い、国民全員を対象として「ここまでの力を習得する機会を一律に保障する」という「保障教育」とも呼べるものだと思います。
こうした保障教育を民間企業で担うのは無理ですし、特性に合いません。

◇学校教育の限界
ただ、これからの時代はそれだけでは足りません。20世紀は、「いい学校」「いい会社」に入ることに集中すればよかったのですが、21世紀は、どの学校、どの会社に入れば幸せになるかわからない時代です。世間が言う「いい」学校、「いい」会社に行くことだけが幸せではないということに、みんなが気付き始めています。
それぞれが好きなことを見つけて、個性を見つけて伸ばし、好きな仕事や自分の人生を自分で創造する。親は子どもに、そうした人生を歩んでほしいと考え始めています。
ではそんな時代に、どのような教育が適しているでしょうか。

◇学校は給食まででいい
僕はもともと、小中学校は給食までで終わりにすればいいと思っています。
テクノロジーを上手に活用することで、「読み・書き・そろばん」は短時間で効率よく習得できます。おそらく半日で十分です。

そして午後は、個人の自主的な興味開発に充てるのです。
画一的な時間割なしで、音楽、スポーツ、プログラミング、ビジネスなど、一人ひとりが好きなものを選んでやってみる。
学校のようなところでやる子もいれば、畑でやる子、どこかの企業でやる子、オンラインでやる子もいるでしょう。
自分の好きなこと、関心のあることを、好きな仲間と一緒に深める活動をするのです。
そうすることで、子どもたちそれぞれが、自分の興味や関心、好きなことや得意なことを見つけて深めていけます。

ただ、こうした興味開発を学校教育の中で行うのはとても難しい。なぜなら学校は、国民を一律に教育するために作られた仕組みだからです。
一人ひとり個別に対応する必要のある興味開発に適した仕組みではありません。
興味開発を担うのは我々民間になると思いますが、そうすると、「お金がある家の子どもしか興味開発ができない」ということになってしまいます。
理想を言えば、国や自治体がバウチャー(利用券)を配り、誰もがそれを使って自分の好きな興味開発の教育サービスを受けられるようになるといいと思っています。
ただそうするにしても、そのバウチャーの財源は教育予算から出すことになるので、既存の保障教育を担う学校と、予算の取り合いになります。そう簡単にはいかないでしょうね。

◇一斉休校は「時代の大きな転換点」になる
でも、変化は確実に起こっています。例えば、既に学歴の価値は相対的に下がってきています。
20世紀は、高い学歴こそが名のある「いい会社」に直結していた。
そして「いい会社」は安定、高い給料に繋がっていて、その会社の中で社員は競争し、さらに高いポジションを求めて働いていました。
しかし今はそれよりも、自分に合った働き方や働きがいを求めるようになっています。
仕事とは、単に生活の糧を得るためのものではなく、自分の人生を表現する手段に変わっている。または、変えたいと考える人が増えています。

既に、これまでの教育に疑問を持ち、「変えたい」と思う人が増えていたところに、新型コロナ感染拡大の影響で、これまで当たり前のように通っていた学校や塾などが突然休みになり、デジタルなどの代替手段に目を向けた家庭が増えた。
「結構いい代替手段もあるから、学校も塾も、別に行かなくてもいいんじゃないか」と、“前向きな不登校”が増えるのではないかと思っています。
2020年の春は、後で振り返ってみると「時代の大きな転換点になった」と感じるようになるでしょうね。

 

大森久蔵