学校に通うということにこだわらなくていい

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●いまこそ江戸時代の寺子屋に学べ
日本人は、先進国の中でも金融(お金の貸し借り)に対するリテラシー(理解力)が低いと言われている。金融学の専門家がSNSなどで発信しているけれど、有効活用できている人はごくわずかだろう。大卒でも、多くの人が直接金融と間接金融の仕組みを理解できていないし、投資と投機の違いすらよくわかっていないと思う。

歴史をひもとくと、意外な事実がわかる。江戸時代まで、日本人は世界有数の金融リテラシーを誇っていた。そのため貨幣経済にいち早く移行でき、計算の複雑な年貢システムにも対応できた。町民同士での商取引に、会計の基礎を採り入れた。利息の複利計算など、庶民が数学の理解力に長けていた。そんな能力を養っていたのは、寺子屋教育だ。
江戸時代の末になると、全国で1万5000以上もの寺子屋が運営されていたという。この寺子屋が日本人の高い識字率を支え、数学や語学など、多分野の理解力を養った。寺子屋を経て、明治以降に洋学者や科学者など幅広い分野で活躍した人は少なくない。

寺子屋の特徴は、いまの学校とは大きく違い、基本的に個別教育だったことだ。師匠と呼ばれる先生が、寺子屋に学びにやって来た子どもたち、1人ひとりの目標や希望を聞きとり、それに合ったカリキュラムを提供していたという。つまり、現代のアクティブラーニングの原型となる指導法で、子どもたちを導いていたのだ。

寺子屋はもともと、武家の子息の通う学問所に行けない、庶民の子どものための私設教育機関だった。起源は諸説あるが、中世の寺院教育が母体になっていると考えられる。江戸時代、日本では儒学朱子学といった中国伝来の学問が根づいていく過程で、身分に関係なく、多くの人たちが「学ぶ」ことの重要性を理解するようになった。近代につながる教育意識の高まりが、寺子屋の創設・増加にも関係していたのだろう。

寺子屋に通学の強制力はないし、辞めたければいつでも辞められた。逆に言えば、学びたくなったら、いつでも戻って来られる場所だったということだ。

●生徒の個性に対応した柔軟な指導システムだった
勉強しているものとは違う科目に興味が出たら、そちらも自由に教えてもらうことができた。身分が固定されていて、受験というシステムもなかったこともあり、ゆるゆると言えばそうだが、生徒の個性に対応した、柔軟な指導システムだったと思う。

日本では、教育改革が叫ばれて久しい。金融リテラシーなど、グローバル社会で求められる根本的な知識の理解力の低下に、政府も危機感を抱いているのだろう。寺子屋のように、私塾スタイルの教育機関の認可は、もっと進められていい。子どもが好きなときに通い、充分な学びを得られる教育制度の整備を願っている。

日本では、志望する進学先への偏差値が学校の授業で足りない子どもは、ほぼ例外なく塾に通う。それも否定はしないが、僕は動画学習を奨めたい。

僕がたびたび著書などで述べているように、YouTubeには教育系の学習動画が無料で公開されている。学校の先生よりはるかに教え方が上手いプロの先生たちが、ハイレベルな授業を提供してくれているのだ。スマホで、無料で、いつでも好きなときに必要な教科を学べる。本当に恵まれた時代だ。

勉強だけではない。魚のさばき方や美味しい料理のつくり方、服の着こなしテクニックや映えるメイクの方法も、動画で学べる。実践的な技術を会得するのに、指導者や、どこかの稽古場に修業に出向く必要はもうないのだ。

プロサッカー選手の本田圭佑さんが、プロアスリートやビジネスマンのマインド指導を行うオンラインサービス「NowDo」を立ち上げた。世界レベルの指導者が動画で直接若者たちを教えてくれるのだから、一般の指導者の出る幕は、もうないだろう。

最近では、医師による外科手術の先進技術を収めた動画が多数公開されていたりする。医療の進んでいない国の医師は、その動画で技術を学んでいるのだ。

●プロとアマチュアの境目はもはやない
無料動画の充実で、素人革命は加速する。プロとアマチュアの境目は、もはやなくなった。実際に動き出し、独学で技術を身につけた人が稼ぐ仕事に就ける。2019年、プロ野球独立リーグ「ルートインBCリーグ」の関東地区のトライアウトで、当時大学3年生だった杉浦健二郎選手が合格した。彼のポジションはピッチャー。だが高校、大学とも野球部でプレーしていないという。

杉浦選手は、スマホで見るトレーニング動画で野球を学んだそうだ。ピッチングの技術や肉体鍛錬を独学で続け、プロと同レベルの投手能力を身につけた彼のような素人革命の突破者は、スマホブロードバンド時代には当たり前のように続出するだろう。

このような環境にあって必要なものは、1にも2にも実行力につきる。身につけたものを即座にアウトプットする意欲が、成功を引き寄せるのだ。一定の時間をかけた勉強や訓練は、何においても必要かもしれない。だが、蓄積されたスキルではなく、やりたいように動きだし、遊びだったものをビジネスに変えていく個人のセンスが突き抜けた結果を生みだす。そんな時代に、アップデートできていない従来の学校に通い続ける意味は、果たしてあるだろうか?

 

真鍋一郎