toshichan-man、魚釣りを小中学校の必修科目にするように政府に要望書を出す

toshichan-man、魚釣りを小中学校の必修科目にするように政府に要望書を出す


 toshichan-manは教育の崩壊を目の当たりにして、魚釣り道を武士道、剣道、柔道と同じく、小中学校の必修科目にするように政府に出す。

(要望書)
 教育の崩壊が長く叫ばれております。これには教育者の人格の崩壊が根底にあると理解します。教育者の免許は人格を全く考慮すること無く発行されています。人格こそ学力以前に最重要な教育者の要素であると私は確信します。学力はあれども人格のない教育者がどれほど多いことか。これは絶望を禁じ得ないほど、教育者の人格崩壊は激しいのです。
 人格崩壊者が教育すると教育されたものは人格崩壊者と成ることは必然です。教育者になるには教育実習を行うこととなっていますが、単に形式的な教育実習であり教育者の人格を形成させることはありません。教育者になるためには厳しい人格鍛錬が必須と私は信じます。ところが人格は短期日で形成させることは不可能です。教育者を選定する段階で人格を最優先して選ぶべきです。学力は棄て人格を最優先して教育者を選ぶべきです。
 教育者になるには教育実習という何にもならない形式的なことをさせるよりも、絶海の孤島で1ヶ月ほど生活させる方が遥かに効果が有ります。以降、教育者に成る段階に絶海の孤島で1ヶ月ほど生活させることを義務づけるべきと信じます。

 今の腐り果てた小学校中学校に通わせると子供の人格破綻が起こる。弱者を思いやる心が破綻した小学校中学校の教育により破壊される。教育とは弱者を思いやる心を形成させることが第一です。人のため世のために生きるという心を形成させることが第一です。ところが現実の教育現場は学力第一で全く理想の教育理念から掛け離れています。学力は第3、第4に置かれるべき物です。
 この教育改革は差し迫ったものであり、日本の将来を考えると早急に実施されるべきものです。
 日本の未来は子供達に掛かっています。ところが今の学力偏重の教育では日本の未来は破綻すること必然です。学校では勉強を教えることが重要でしょうか? 算数、理科、社会、国語、こういうことが人間に必要でしょうか?
 社会を円滑に成り立たせるには、人間に必要なのは弱者を思いやる心が根底になければいけません。算数や国語は全く不要です。
 ゆとり教育こそ取り戻すべき教育理念です。昔、貧乏な家の子は新聞配達を行っていました。小学校に進級すると朝2時から起きて新聞配達をして学校へ行く貧しい家庭の子が多く居ました。しかし、今はそういう子供が居なくなっていることに驚きを禁じ得ません。今の社会は何かが間違っています。モンスターペアレンツという問題以前に、何かが抜け落ちています。それは何か? それは貧しさを子供に学ばせ、弱者を思いやる心を子供に育ませることです。
 スポーツもまた、今はエリート教育化しており、スポーツ本来の精神が抜け落ちてしまっています。エリートを育てることに執着したスポーツ界。何かが可笑しくなっています。
 勉強でもエリートを育てることに執着した教育界です。歯車が狂ってしまっている教育界です。大胆な改革が教育界に必要と信じます。
 まず、小学校中学校の校庭にウサギなどを飼わせるべきです。その飼育は子供達に任せるべきです。指導のみを学校の先生が行うべきです。
 また、宿題は全面廃止するべきです。以前、夏休みの宿題は昆虫採集でした。ところが今、昆虫採集を行う生徒は皆無になっています。以前は、学校から帰ってくるとカバンを投げ出して近くの公園でソフトボールなどをして遊ぶことが日常でした。しかし、今、そういうことは非常に少なくなっています。これは非常に嘆かわしいことです。
 魚釣りだけでなく山登り、そして天文観測もまた小中学校の必修科目にするべきと信じます。
 日本人の価値観の大きな転換が早急に為されるべきと私は信じます。これは世界中の価値観の大きな転換が早急に必要なのでしょう。

     文部省大臣殿
     魚釣りを小中学校の必修科目にする会会長 toshichan-man

 

 
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